090924 日本神経回路学会 JNNS 会誌 200912月号


巻頭言「実験家は皆さんに理論を求める」



  編集委員の方より突然の巻頭言のご依頼があり、戸惑いながら書きはじめています。といっても今まで神経回路学会に全くご縁がなかった訳ではなく、NISS に2度ほど参加したことがあります ('99 '03 でしたか) のと神経回路学会での講演もさせていただいたこともあります ('01)。しかし、そんなことよりは恐らく京大の S 先生の差し金とおぼしき気配があり、「持つべからざるものは悪友」といったところでしょうか。

  出されたお題は「先生の問題意識,漠然とした方向性,こちらの学会に期待すること,などを簡単にお書き頂ければ,会員の意識もまた少し違ったものに変化するのではないか」とありました。ここで「漠然としてたら方向性じゃないのでは」と関西的につっこむとか、「何も期待することはございません」と逃げだすとかできるはずも無く、以下ご要望に応えるべく奮闘いたしました。


  さて、実はこれに近いことをいつぞや書いたことがあるなと思い出しまして調べてみますと、神経科学学会のほうの神経科学ニュース (1996 年・No. 5) に「システム論的研究のすすめ」と題して:


  ...我々の神経科学は当然生命科学の一部に包含されるのだけれども、それ自身に固有な問題提起がある、あるいはあったはずです。生命科学のゴールである「生命現象の理解」に対して、我々のレゾンデートルは「精神現象の理解」でありましょう。この我々のゴールは日々の研究生活の中では少々口幅ったい事柄であり、現在の研究の実体からあまりに遠く離れているものですが、神経科学研究者の心の奥底には巣くっているはずです。
  このゴールからみると神経科学の現状はどうでしょうか。近年、分子生物学的手法の応用として分子神経生物学あるいは発生・発達神経生物学が隆盛になる一方で、ややもすると従来のシステム論的視点の研究が神経科学の分野、特に実験分野でなおざりにされつつあると感じられます。たしかに、分子神経生物学あるいは発生・発達神経生物学も神経系を対象にした科学ではありますが、それらの真正面に見えるゴールは機能分子の解析であったり、自己組織化の解明であったりするのであって、「精神現象の理解」ではなさそうです。 ...


と分子神経生物学をぶった切ったあとに、返す刀で


  ...理論的分野からせまることも原則的には可能でしょうが、その分野から聞こえてくることも「情報処理」以外のメカニズムにはなかなか聞こえない。情報処理というのは入力情報パターンのカテゴライゼーションですから、感覚入力から運動出力までを眺めたときその原理は、極論すれば、郵便番号の識別機械以上のことを説明していない。ですから私には「精神現象」を理解するための原理がなにかひとつ欠けているとしか思えない。現在の人工知能・計算論の工学的用語だけでは、(哲学的な用語は避けたいのですが)たとえば物理的パラメーターとしてのではない、我々みなが日々自覚している主観的・内的「時間」を説明できそうにない。何か足りないという強烈な感じがする。 ...


と皆さん方の研究方面まで攻撃しています。自殺行為ですね。かれこれ13年前の意見ですので若気の至りと言えばその通りでお恥ずかしいかぎりです。今の私はその当時と異なり、実際この年月におまえはどれだけのことができたのかと言われれば赤面して黙り込むしかありませんし、今回みたいに強要されなければ何も言い出さないようになっています。それでも告白しますと、これだけの年月がたっても考えそのものはほとんど変わっていないことに驚きました。

  そうです。我々のゴールは「精神現象の解明」なのです。まあ、ここで我々と言っても、この巻頭言を読んでいる神経回路学会の皆さん方の中でおそらく少数派の方々しか同意してくれないでしょうが... ただ、こんな風に考えています。ここでとりあえず応用科学のことは忘れて基礎科学のことだけに考えをしぼりますと、この世に存在している不思議なことは「物(もの)」と「生命(いのち)」と「精神(こころ)」となりましょう。このうち、「生命現象」の神秘は消え去ってしまいました。ワトソンとクリックが DNA の二重螺旋を報告したときに、生命現象の根幹は「物質あるいは分子間の特異的相互認識」だと言いきってしまったときに、雲散霧消してしまいました。「物理現象」の不思議の探索についてはまだまだ究極の神秘が残っていますが、ウィッテン氏などの仰ることを垣間見ますと、かなりなところまで行き着いていると思われます。それらに比べて、「精神現象」の謎についてはまったく何にも、とっかかりさえもわかっていない。この分野は、ただただ事実の集積を行っている博物学のレベルにしかなく、本当のサイエンスとしては始まってもいない、と感じられます。ですから、「精神現象の解明」と吠えたとしても、ややもすると吠えた人がドン・キホーテにしかみえないということになります。しかし皆さん、ものは考えようで、始まってもいないからこそ、今が「やり時」です。何を言いだしてもよいですし、もし万が一当たればニュートン・ダーウィン・アインシュタイン・ワトソン/クリックに肩を並べることができる業績になります。

  というわけで、神経回路学会の皆さんに実験研究者側からの課題を突き付けてみましょう。

(1)実際の脳の中のニューロンはそれぞれ自分の時間を生きています。脳内の2個のニューロンを考えて見ますと、ニューロンAがニューロンBの現在を知ることはできなくて、伝導・伝達にかかる時間の分だけ過去のニューロンBしかわかりません。脳はコンピュータのクロックのような仕組みを持っていないので、2個のニューロンにとっての「同時」ということさえ、まともに定義できません。こんな描像しかないのでは、私たち自身が「内的に統一された唯一の時間」を生きているという実感に著しく反しますし、この実感を説明するすべを持たないでしょう。ここを概念的に突破できる理論は無いのでしょうか?

(2)「意識」の実在性はとてもはっきりしています。ここで言う「意識」とは哲学的なものではなくて wakefulness とでも言うべきものでして、多くの人がその実在性に疑いを抱かないものです。例えば、救急救命師や看護師の方々が習う基本的なことに「意識障害の程度」の判定法があります。日本では3--9度方式と言って、ぼんやりしているレベルの軽度意識障害から昏睡のような重度の意識障害まで9段階に分類する方法を教わります。また、意識障害が無ければ、ボクシングの KO は成立しないでしょう。このようにその実在性がはっきりとしているにもかかわらず、脳が生み出しているであろう「意識」に関するまっとうな(哲学ではない)理論には出くわしたことがありません。神経回路学会の皆さん方はどうしてここに切り込まないのでしょうか?


  もちろん、こんなことにかまけていたら論文にならないし、下手するとどこぞのテレビに出てくるような怪しい人になっちゃうし、というご意見・お考えは重々承知です。しかし、目指さなければ道は開かれないのではないでしょうか。私どものような地を這う実験研究者は、地道で遅いですけれども皆さんが利用できるかもしれないデータを生み出しております。とくに、ニューロンとその織りなす神経回路の実際を描いていこうとするボトムアップ型の研究者のやっていることに注目していただきたい。その当時から見ても 70 年以上も前にアウトラインが描かれていた小脳皮質の神経回路のデザインを眺めて、それが supervised learning machinery だと見抜いたデービッド・マーやジェームズ・アルブスのように、神経回路学会の皆さんには「脳が精神(こころ)を生み出す原理」を脳の神経回路網の中に発見していただきたいと切に望む次第です。


文責:金子武嗣